気晴らし旅日記

週末旅した軌跡を残しています。地球をたくさん歩きたい。

【2023年初冬】古都奈良の寺院を巡る2泊3日

ようやく冬の始まりを感じた11月下旬に、中学生ぶりに奈良へいってきました。学生時代は全く歴史と紐づけて観光しなかったけど、この年になって史実と比較しながら建築物や美術品を見るのが面白いなと思っている最近です。

時代背景やその当時何を思ってその人はその選択をしたのか、という部分を掘り下げて見ていくと、ただの暗記ものではなく楽しく学べるし、現代に活かせる教訓もあるなあと思います。

立ち寄った場所

法隆寺

日本最古の塔である五重塔

日本最古の木造の塔である五重塔

現存する世界最古の木造建築であり、日本最初の文化遺産聖徳太子推古天皇が寺と薬師如来を作ったのが始まりで607年に建立されたと言われています。

元々は聖徳太子の父である用明天皇が病気平癒のために作成しようとしていたが間に合わず崩御され、その意志を継いだ厩戸皇子聖徳太子)と、用明天皇の兄弟である推古天皇が継いで作成したそうです。

用明天皇が亡くなった後は、隋に習って海外に負けない国を作るため「天皇中心にした統一国家を作る」ことを目的に、蘇我馬子が兄弟の推古天皇用明天皇の子供である聖徳太子を摂政にした政治を行っていました。

目的を成すために海外の儒教や仏教を活用し、官政や心構えを整えようとしており、冠位十二階や十七条の憲法が生まれたといわれている(当時の隋は儒教で国が統制できていたため、これを見習おうとしていたのかも)
彼らによって仏教や儒教が保護・奨励されたため、この時代から大衆にも広く浸透していったのだそうです。

金堂。2重と3重めの支柱に龍が彫刻されている。

続いてはお隣の金堂。中は見られないので外から建築を観る形になります。
珍しいなと思ったのは2重目と3重目の支柱に龍が彫刻されていたことです。

帰ってきてから調べたら、建立当時から彫刻されたものではなく、江戸時代の修繕の際に付け加えられたものだそうです。

昇り龍と降り龍の彫刻
大宝蔵院

法隆寺の入館券で一緒に入れる大宝蔵院には、一度は教科書で見た/聞いたことのある玉虫厨子と、十七条の憲法の版木が展示されていました。

十七条の憲法は「和を以て~」の第一条から始まる、儒教をベースにした役人の心構えを書いたものです。版木(木で作られたスタンプのようなもの)で作られており、全て漢文による記述でした。達筆(版画なので筆は適切ではないかもしれませんが)なので、ガラス越しで見てもしっかり読めました。

宗教も版木などの木版技術も、中国・朝鮮を中心に海外から取り入れた技術や思想であり、この時代でも海外のほうが進んでいたのだなあと実物を見るとしみじみと思わされました。

中宮寺

中宮寺の本堂

中宮寺の本堂

法隆寺の東側にある夢殿を越えた先には、7つある聖徳太子が立てたお寺の一つである中宮寺があります。

これまた教科書で聞いたことのあるアルカイック・スマイルを持つ国宝の菩薩半跏像がおられるのと、日本最古の刺繍品と言われる「天寿国曼荼羅繍帳」のレプリカが展示されています。聖徳太子が亡くなった後に、その后が聖徳太子のいる天国のありさまを刺繍で作らせたものだそうで、現代でも製品として販売できそうなクオリティでした。

薬師寺法相宗総本山)

中門前越しに西塔と国宝の東塔を見る

中門前越しに西塔と国宝の東塔を写す

法隆寺建立から更に時代は下り、680年には天武天皇持統天皇の病が治るようにと祈願のために薬師寺が建立しました。初期は藤原京の位置に建てられたものの、718年に現在の場所へ移設されたそうです。

東塔

国宝である東塔は初期に建立したときのまま、薬師寺創建当時から残る唯一の建物だそうです(平城京最古の建造物ともいえる)

少しわかりにくいですが、6層の屋根のうち2組1セットのような作りが美しいバランスでした。中には釈迦の生涯を示したブロンズづくりの大きなレリーフが展示されていました。

東大寺華厳宗総本山)

東大寺大仏殿の盧遮那仏

東大寺大仏殿の盧遮那仏

薬師寺建立からまた更に時代はくだり、752年には東大寺が建立します。この頃は天然痘を始めとした疫病と飢饉の流行で世の中が不安定になっていたため、仏教の力で国家の安定を図ろうとしていました。

いきなり東大寺が建立したわけではなく、741年に 国分寺創建の詔 が出され、全国アクセスが良い場所に国分寺が建てられたあとに、その総本山として東大寺は建立されました。

東大寺は国家安定を目的としていましたが、それとともに仏教を研究し学僧を育成する役目も持っていました。今でこそ、このお寺はこの宗の総本山、といった紐づけがありますが(東大寺華厳宗総本山)、当時は宗派関係なく六宗(平安時代には天台宗真言宗を加えた八宗)を兼学する道場でもありました。

奈良時代の六宗で現存しているのは下記の三宗だけだそうで、今回巡った薬師寺唐招提寺もそれぞれ法相宗律宗の総本山です。

正倉院展

正倉には本来穀物などを保管するそうですが、東大寺正倉院には宝物が保存されており、年1回点検と合わせて選定された宝物が一般公開されています。

聖武天皇遺愛の品々や、東大寺にまつわる品が宝物として保存されており、中国や朝鮮と交流が深かったことは想像し易いですが、更にその向こうのササン朝ペルシアや東南アジアとも交流があったことがわかる品々が展示されていました。

今回の目当ては写真にも描かれている「楓蘇芳染螺鈿槽琵琶(かえですおうぞめらでんのそうのびわ)」で、一見するとただの琵琶ですが、裏面が貝などで綺羅びやかに装飾されていました。 

唐招提寺律宗総本山)

唐招提寺の金堂

唐招提寺の金堂

当時日本に伝来していた仏教のうち、不完全だった戒律(悟りを開くための修行生活の規則)を唐から教わるため、日本が鑑真を招待したそうです。

とはいえ、来日することが決まってからも10年の間に5度も渡航に失敗し、失明しながらも6度目でようやく日本の地に到達した鑑真和上は修行の道場として唐招提寺を開いたそうです。

朝一で訪問したからか、人が少なく静寂が広がるなかを見て回ることができました。

春日大社

768年に平城京の守護と国民の繁栄を祈願して創建されました。鹿と共存した森の中で鮮やかな朱色の建物がとても印象的でした。本殿までの道のりも鹿が沢山いて、観光客を出迎えてくれているようでした。

鹿を神の使いとしているからか、こんなかわいいおみくじもありました。

鹿のおみくじ。普通verと白鹿verがありました

鹿のおみくじ。普通verと白鹿verがありました

同じ時代に、神社から通じる神道と寺から通じる仏教の両方が存在していたので、ケンカしなかったのか、というのがすごく疑問だったのですが、当時~江戸時代までは神仏習合と称されるほどうまく調和していたそうです。

明治維新時に神道を国教にするべく「神仏分離令」発されたことにより、神社から仏像などが排除されてしまいましたが、国内にもまだ共存している寺・神社は存在するそうです。

現代の日本人も初詣や七五三には神社へいき、お盆などの法要ではお寺に行っているので、多くの日本人は明確に区別せず共存させる形だと思うのですが、昔は物理的にももっと近い位置あったそうです。

(余談)歴史的な楽しみ方

どういった背景で建立されたのか歴史に合わせて見ていくのも面白いけど、こんな見比べ方も面白いかもしれないなーということでまとめておく。

伽藍配置の比較

飛鳥~奈良時代の寺院では、境内の塔や金堂の配置が異なる(伽藍配置)ため、それを見比べてみると面白いな~と思いました。

建立順だと 法隆寺薬師寺東大寺ですが、薬師寺式までは中門の内側に塔が配置されていたものの、東大寺の時代では中門の外側に塔が配置されるようになりました。

仏教では塔こそが一番重要な建造物のはずですが、神仏習合のうちに大仏が重要視される=金堂が最重要の建造物 の認識に変わったのかもしれないなーと思うと、人々の認識が変わったことで建物様式にも影響が出るのが興味深いです。

  • 法隆寺

    法隆寺式の伽藍配置

    南大門を背に左手に塔、右手に金堂、奥に講堂の配置
  • 薬師寺

    薬師寺式の伽藍配置

    中門を目の前に、左手に西塔と右手に東塔、奥に金堂、更に奥に講堂の配置
  • 東大寺

    一番奥に講堂、その手前に中門とその左右外側に塔の配置

    一番奥に講堂、その手前に中門とその左右外側に塔の配置

年表に並べる

  • 592年 推古天皇が即位し初代女帝になる
  • 593年 聖徳太子が摂政になる
  • 607年 遣隋使 小野妹子が隋へ派遣される
  • 618年 隋が滅び、唐に変わる
    • 唐が日増しに強大化するため、天皇中心の強固な国家を作る必要があった
  • 622年 聖徳太子亡くなる
  • 645年 蘇我入鹿中大兄皇子により暗殺
  • 645~649年 大化の改新
    • 公地公民/班田収授法/国郡制度/租庸調の税制制定 が行われる
    • 日本で初めて「大化」という和暦が使われる
  • 663年 白村江の戦い
  • 672年 壬申の乱
  • 680年 〈薬師寺〉建立
    • ~疫病と飢饉が流行~
  • 710年 平城京遷都
  • 718年 〈薬師寺〉が現在の場所へ移設
  • 741年 国分寺創建の詔
    • 8世紀始めから流行っていた疫病と飢饉から仏教で国を安定させようとした
    • 人々が通いやすく、かつ建立するのにふさわしい場所に国分寺国分尼寺と七重の塔をつくることを示した
  • 743年 盧遮那仏造立の詔
    • 全国にある国分寺の総本山として東大時を建立し、本尊として巨大な大仏を作ることを示した
  • 752年 〈東大寺〉建立
  • 753年 鑑真が来日し、東大寺で僧侶を育成する
  • 759年 〈唐招提寺〉建立
  • 768年 〈春日大社〉完成

食べたもの

柿のモンブラン[季節限定] @大和茶大福専門店 GRAN CHA

歩き疲れてふらっと入りました。期間限定の柿モンブランを食べましたが、とても甘くて、普段辛党の私にはちょっとびっくりしました。上に干し柿が乗っているのですが、こやつで矯正器具が外れたのが思い出深い…!

また機会があったら、今度は調子に乗らずにかき氷にしようと思います。

かき揚げざる @蕎麦切り よしむら

かき揚げ1つ食べちゃったけど本当は3つ入りです

10割蕎麦なのに細くぶちぶち切れないお蕎麦が印象的でした。かき揚げもくどくない油で、大変美味しかったです。蕎麦湯も最初から最後までとろみがあるタイプで、お茶かわりに蕎麦湯を飲み続けたいくらいでした。

休日のお昼どきでお昼セットが売り切れていましたが、量がちょっと物足りなかったのでセット(もしくはそば大盛り)でも良かったなーと思いました。

コーヒーのグラニータ @宝島

夕飯まで1時間空いていたので休憩がてら立ち寄りました。商店街の隠れた老舗カフェで食事メニューは売り切れていたので、入店断られるかと思ったけどカフェメニューならOKということで入れてくれました。

コーヒーをアイスボックス状に凍らせたもので、元のコーヒーが美味しいせいかとても満足度が高かったですね。普通にコーヒーも飲んでみたかったですね。

大和の野菜懐石〈案山子 – かかし(岩魚)〉@ならまち旬菜ひより

写真には載せきれなかったのですが、寒い日だったのでコースが始まるまでにレタスと生姜のスープを出してくれました。レタスをスープにするのが斬新だなあと思いつつ、体がとても温まる優しい味だったのを覚えています。

最初から最後まで野菜尽くしのコースなのですが、蒸し野菜が一番美味しかったです。塩かドレッシングか味噌で食べるのですが、何で食べても本来の野菜の甘さが引き出されていました。

卵とじ葛うどん @天極堂 JR奈良駅

寒い日だったけどこれは暖か(むしろ熱いくらい)でした!葛によるとろみが全然熱さを逃さず、猫舌じゃないのにふーふーしないと食べられなかったです(褒めている)

体の芯から温まれたし、関西風の出汁が効いたスープが最後まで美味しかったです。

今回のビジホ@ダイワロイネットホテル奈良

今回は コーナーデラックスツイン のお部屋です。ふき替えたばかりのかやぶき屋根のような色をベースにしたお部屋で、随所に鹿のモチーフが散りばめられている奈良らしいお部屋でした。

大浴場もあるのに、バス・トイレ別というちょっと贅沢なお部屋で、ビジネスホテルでもこんなお部屋があるんだなーと学びになりました。

万葉集で詠まれる茅色(かやいろ)が使われている

気をつけるとよいこと

  • 公共交通機関
    • JR⇔近鉄の乗換えが歩くには距離が離れているので、観光地近くまでは電車(できるだけ乗り換えは少なく)、現地までは徒歩がおすすめ
    • もしくは観光地を周遊するバス利用がおすすめ
      • バスは前のり後のりが統一されてなく、個体差があるので注意
  • 服装
    • 鹿がそこら中にいるので足元は汚れても良いものにしておくと吉
    • お寺も舗装されていない(砂利・土)場所が多いので歩きやすい靴がよい

おわりに

念願だった法隆寺に行けて大満足の旅でした。世界最古の「木造」建築なので、災害や事故で失われてしまう前に一度見ておきたかったんですよね。

実際に行ってみると五重塔はもちろんのこと、大宝蔵院でも歴史的価値のあるものが見れましたし、正倉院展も多くの人が見に来るだけの宝物が展示されていました。

10代20代の頃はこういう展示物を全く楽しめなかったのですが、年を重ねたからか新しい楽しみ方を知り、現地へ赴いてその歴史を学ぶことがより楽しくなりました。

次回は時代順に京都(平安京)でも行こうかな。